2007年1月23日付『朝日新聞』12面の「声」欄:投稿の全文引用----- ここから -----「与太郎モノの落語は慎重に」 無職 渡辺 宅治(千葉県八千代市78歳)
東京浅草まで手軽に行けるので、寄席によく足を運ぶ。下町情緒に浸りながら、真打ち歌丸師匠の話に耳を傾けるのが楽しい。師匠の「透けて見える世の危うさ」(13日朝刊「私の視点」)を読んだ。昨今の落語ブームは「ギスギスした世の中の反動じゃないか」との指摘に納得した。
ところで、うちの近所では、母親に付き添われて児童発達支援センターに通うであろう子供たちが朝、バスに乗る。意思伝達に不自由な彼らが、どのように歩んでいくのかと思い、心が痛む。そんな彼らを見ているので、与太郎モノと呼ばれる落語が気がかりだ。 知恵の足りない与太郎が大家に笑いものにされるという類の筋書きだ。昔なら笑いを誘ったネタかもしれない。でも現代は弱い者いじめに通じ、親たちを深く悲しませるに違いない。少なくとも師匠の言う「聴いた後ジーンと来る、ほのぼのとする」話ではない。こんな話はかなり減ったが、落語家の皆さんには更に慎重に扱って頂きたいと思う。----- ここまで ----- え、本当に落語ファン?私は、落語が好きです。若い頃、「かぼちゃ屋」という噺を覚えて、今でも気がつくとぶつぶつ言ってたりすることがあるんです。今まで、与太郎さんについて、こんな風に思ったことはありませんでした。今なら、与太郎さんと、彼を取り巻く人達にどんなキャラクタを持たせるか、ただの真似ではなくて、もっと自分なりに考えたかもしれません。 いろいろな与太郎噺を聞き直してみたいと思います。噺を全体として感じたいです。登場人物が、どんな人達で、何を語っているのかを。 Youtubeには、「小さん」師匠しか見つからなかったのですが、本当は、私はその弟子の「小三治」師匠の与太郎がもっと好きなんです。